昭和45年09月28日 夜の御理解



 信心を頂いてお互いが、どういう運命のもとに、例えばあってもその運命を有難い、有難い方へ有難い方へとそれを運命を切り替え切り替えして、人間の幸せ日々が有難い勿体ないの生活に入って行けれる、そういう道を教えて下さるのが、信心だと思うんです。もう限りなく、だから運命は切り替えられてまいります。いわゆるその切り替えられて行く先が何処かと云うと、今も申します、有難い勿体無いと云う生活に入って行けれると云うことなんですよね。
 今日ある方がお参りをして見えられましてね、元、そこの女中さんをして居られた方が、もうこの人はああいう非常に環境の悪いお家に生まれて、不良少女の仲間に入って、手の付けられん様なのを、そこに頼まれて女中さんに来て二年間、ここでほんとに真面目になって、最近田舎の方ではありますけれども、縁があってから縁に着かれて、それからまあ幸せに生活して居られたところが。
 それこそなんと申しましょうかね、そのまあ天魔が魔がさしたとでも申しましょうかね。そこの夫婦共稼ぎで居られるところの御主人と心安うなられてから、子供が出来られましてね。もうそれがその御主人とそこの、矢張りもうようくとにかくよう似とるそうですたい。それでもう村内の者もそれをみんなそれを知って、いろいろな白眼視してますけれども。御主人だけはそれを寛大に受けてね、それからかえって夫婦仲も良うなって円満に行きよんなさった。
 もうその子も小学校の三年にもなって居りましたけれども、あちらで大変田舎の事ですから、こちらの久留米の方へ出て、又いろんなそういう世間のいろんな、子供も段々大きくなりますしその為に移ってから、こちらへ移って来たいと云う様な、願いを持って居られてね。いわゆる女中さんに来て居られた所の、ここのいわば御信者さんですけれども。こちらに仕事が無いだろうかと云うて来とりましたから。
 その方の世話で何処何処に、ちゃんともう入る様に給料も大体決って、こちらに帰って来る様になっとったんです。所がお伺いさせて頂いて、とにかく早いがいいですよ、こちらに移って来るのはと云うて、二回そういうチャンスが有りましたから、今にもこちらに移って来る様になっとったのが、なんか盆にボーナスを盆まで辛抱すりゃボーナスが貰えるからかなんかと云った様な、ちょっとした欲でですね、まぁひっきり根性がないといやないその来られなかった。
 ところが先日その山の中の小学校で運動会があってね。その運動会の中でその子供達が、お前のお父さんはあの人がお父さんとか、子供の事から喧嘩になってね、お酒は入っとりますし、それからそこの親父まで子供の喧嘩に親父が出てから、親父と親父との喧嘩になってね。相手の人もそれこそ打ったり叩いたり両方共怪我したそうですけれども、片一方に大変な傷を負わせたと。それで主人が今警察へ連れられて行っとりますと云うて、その電話が掛かってきたちゅうてね。
 ほんとに親先生があん時に、ああ仰ってある時に、もう土浦の方でお邪魔になっとりゃ、こげな事もなかったろうと電話の先で泣かれるそうですたい。けれどもね例えばもしも相手の人が死んであるなら、その元と云うのは私自身にある事じゃから、私も生きちゃ居れれんと云うてその言われた。けれどもおかげで命は取り留めるらしいですけれども、ほんとに人間の運命と云うものが、神様の救いの手があって、ここからもう変わろうとしているときにちょっとした欲でですね。
 いわゆる盆まで居れば、ボーナスが貰えると言うたと、それだけの事であのこちらへ来ることを躊躇して居った事が、そういう結果になってね。その人がひとつほんとに助かって貰わにゃならんと云うて、さっき改めてお願いに見えましたんですけれどもね。ほんとにあの運命と云うものが、信心に依ってそうして切り替えられて、有難い事になって行こうとするのを、自分から手を外して行く様な人が沢山ありますね。
 ですからほんとに、信心運命を切り替え切り替えしながら、人間が幸せになって行く、そういう御用をさせて頂くと云う事が、私はお導きだと思うんですよね。今熊谷さんの話をさせて頂いても、それこそもう億万の金を持って居られる方が、息子さんは亡くなる御主人は亡くなられて、もうとにかく暇はあってどんこんされん、お金もどんこんあってされんごとあるけれども、その中での苦しみと云うものは大変な事だと。
 今日行ってその話を聞かせて貰うて、お金だけ沢山ある事が人間の幸せじゃぁないですなと云うてその帰って。どうかそのお導きをさせて頂きたいという意味の事を云うて居られましたが。今からでもいわば遅くはない。ほんとに運命の切り替えが出来る。信心に依って出来るんだと私は思う。その切り替えを切り替えきり替えして行くことが信心。そしてこんなに有難い勿体無いとはないと云う所まで。
 高めて切り替えて行かなければならない、信心とは。その事を私今日お取次させて頂いとりましたらね。御ご用と頂きました。ご用と申しましょう、それは御は平仮名の最近はごと云うのを平仮名で書くようになっていますね。ご用の上に御という字がつけてあること。もう只お互いが、ご用ご用させて貰わにゃと、こう言いますけれどもほんとに人の難儀が助かって行く。
 人の運命が切り替えられる程しの、おかげの元を作って行くと云う様なご用。それをその方がこう言うて居ります。「先生、私はそういう方達が、助かって行く事の為の、手立てともなる、私にならせて頂きたい」と言われた時に、その御ご用と云うことを頂いたんです。ですから、自分で助けることはどうにも出来ない。助けて下さるのは神様だ。その手立てにならせて頂ける私にならせて下さいと云うて。
 あのお願いされる時にね、御ご用と。私は合楽に又、こういう一つの新用語がこれから使われる様になるだろうと思いますね。只のご用じゃいかん。やはり御ご用というと云う様なご用がね、為されて行くことは、自分の周囲の人達が、いわば難儀から救われるというか、運命が切り替えられて行く、いわば手立てともお互いがならせて頂かねばならないと云うことなんですよね。
   どうぞ。